2013年8月13日火曜日

なぜソーシャルゲームをやらないのか

  【コラム】なぜソーシャルゲームを嫌悪するのか?そしてなぜボードゲームは人とプレイするのか?を読んだ。ソーシャルゲームを嫌悪してしまう理由として、代替性が生まれることへの嫌悪があるという内容だった。
  後半のボードゲームを人とプレイする意味につながる大きな理由であり、ボードゲーマーの中にはこの理由でソーシャルゲームはちょっとという人もいそうだ。
しかし、私は別の理由でソーシャルゲームが嫌いだ。というよりは、ゲームの部分でろくに遊べないゲームが嫌いだ。



  ソーシャルゲームで遊んだことがあるのはFarm Villeとモブストライク。どちらもそれなりにやった。前者は、体力(耐久力と言い換えても良いしスタミナといってもいい)を商品に替え、それをお金に替えて、商品を買って…という繰り返しです。商品にバリエーションが有るだけ。モブストライクは、効率のよい仕事を決めてクリックして、体力回復したらまたクリック…という繰り返し。能力値にバリエーションがあり、他人を殴れるだけ。
  ゲームを、上手く回すために、求められることが、決められた時間(体力の回復時間)に戻ってくることのみになっている。ここに”金払えば、すぐにその時間にしてあげるよ”が加わったところで何が面白くなるのか。ゲームの回し方に興味がもてないので、そのゲームに興味がもてない。だから、今流行っているソーシャルゲームが嫌いだ。
  しかし、基本無料(F2P)を嫌っているわけではないこともわかってほしい。例えば、優れたゲームに着せ替え要素(コスチュームが課金で買える)が搭載されているのは、むしろ歓迎だ。基本無料!追加の料金を払う仕組みがあることで、ゲームの開発が継続して、さらにゲームのシステムをよくするための資金を回収できるのは絶対良いことだ。この着せ替えがガチャでも全く問題ないと思う。なぜなら、このガチャはゲームを遊ぶところには関係がない。基本無料で遊べるならいいじゃないか、ゲームを上手く回す選択権が自分にある。ちょっと自分をかっこ良く見せるには、お金を払う。私はここには嫌悪感は全くない。
  私はもっとゲームの回し方に興味を持たせてほしい。これは何をすれば、上手く動けるのか?比較対象は対戦相手でもいいし、AIでもいい(ステージでもいい)。判断基準は確立でもいいし、予測でもいい、反射神経でもいい。とにかくなにか有利な状況を築くために悩めるゲームが欲しい。そこが”課金”だったり、”時間”だとわかってしまうゲームは僕の求めるゲームではない。



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